自分の価値観を人に押し付けないこと

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今日で留学が終了した。3ヶ月の留学生活の中で出会った、特に印象深かった3人とそこから学んだことについてまとめようと思う。

目次

①韓国人マネージャーKさん

私が滞在していた語学学校には、生徒を管理する各国のマネージャーがいるのだが、実は彼らは無給で働いている。語学学校の生徒はある一定の学習レベルに達するとマネージャーに立候補する資格が得られるのだが、マネージャーになると食費や寮の滞在費などの生活費が全て無料で、学校の授業も好きなだけ無料で受けられることができる。しかし労働時間は普通に8時間あり、しかし生徒たちは時を構わず24時間いつでも相談や助けを求めに来るので、中々心は休まらない。仕事の量も膨大で、特に学生の長期休みの期間は毎週100人近くが卒業して、100人近くが入学してくるので、それがどれほど大変なことかは言うまでもないだろう。一応お小遣いとしてお金はもらえるが、たったの7000ペソ(日本円で18000円程度)である。

Kさんは20代後半で、4年前に生徒として留学に来ていたらしい。その後韓国に戻りそこそこいい企業で働いていたのだが、親からあれこれ言われるのだとか、彼女からあれこれ求められるのだとか、会社で身をすり減らしながら働くことにも疲れ果てたのだという。そのとき、セブ島での生活を思い出し、あの穏やかで暖かい環境が恋しいと、バカンス目的でフィリピンに再訪。マネージャーとしては半年ほど働く予定らしい。

仕事のストレスは溜まらないか、無給で働くことに不満はないか聞いたところ、

「私は、ただただ英語を勉強しにきた。だから何をしていようと、四六時中英語が使える環境に身を置けることに感謝している」

と、給料については気にしたこともなかったようである。また、「私はあくまでバカンスにきたのだから。韓国とは全く環境の異なるここへ来れた今は、仕事もバカンスのひとつ」だとも言っていた。

②サウジアラビア人Aさん

彼は私と同い年の青年で、それなりに裕福な実家の末っ子らしい。父親は既に還暦を迎えたのだが、仕事をしていた頃は英語をよく使っていたため堪能に話せるらしい。それで、「お前も英語が話せるようになれ。できるまで帰ってくるな」という感じでセブ島での留学生活が始まったのだとか。

私と彼が出会ったとき、彼はセブ島の別の語学学校に既に3ヶ月滞在していた。始めは私と同じタイミングの、計6ヶ月で卒業・帰国する予定だったのだが、卒業予定の3週間前に延長を決意し、今はもういつ帰るかは決めずに納得のいくまで学校生活を続けることにしたそうだ。

きっかけは、彼にとっての留学生活5ヶ月めに差し掛かった頃、彼の父親がサウジから遊びに来た時のことだった。その頃彼のやる気は低迷期に入っていたが、父親と色々話してホームシックも吹っ切れて、いつの間にか自分の意思でセブ島での生活を続けたいと思うようになったらしい。彼は既に会話自体は堪能であるが、リーディングとリスニングが苦手で伸び悩んでいるらしい。この二つが納得の行くレベルになったら卒業するそうである。

しかし悪い意味で驚いたのは、爛々とした目でやる気や目標を語る割には、授業には全然出席しないことである。好きな先生の授業だけ受けているが、それすらも毎度遅刻してやってくる。しかし、それが許されるほど豊かな財力の家庭いるので、きっと大丈夫なのだろう。

③フィリピン人の先生たち

卒業前に、感謝の気持ちとして3人だけ先生を日本料理屋に連れて行った。私は、生徒の平均的な滞在期間や振る舞い、日本人の性格などを見ていて、多くの先生はサムギョプサル屋はご馳走してもらったことはあるものの、99%の先生は日本料理屋には行ったことがないだろうというのは分かっていた。多くのフィリピン人は日本で働くことを夢見ているが、実際には年齢や金銭的に叶えるのは難しい人がほとんどだ。だから私は、先生たちの経験を買ったのである。(しかし、料理の価格は日本の1.5倍くらいして痛い出費だった)

一応、先生たちはとても喜んでくれた。「今まで行ったレストランの中で一番」だとか、装飾の凝った店だったので「実際に日本に来たみたい!」とも言ってくれた。しかし、料理に対する反応はとても正直で、気に入らない味だった唐揚げを飲み込めずにくちゃくちゃ噛み続けたり、野菜が嫌いだから焼きうどんの麺だけ取って食べたり。特に寿司は生魚が苦手だったらしく、二口噛んだらオエっと舌を見せながら吐き出したりした。あとは、あらゆるもの全てを一旦醤油につけてから食べるのだが、フィリピンの食文化的にはそれは普通なので、納得したと言うよりとても興味深かった。

全ての人は尊重される存在である

正直、この3人に対しては特に色々と突っ込みたかった。無給の労働なんて今どきあり得ないでしょとか、学力を伸ばしたいなら授業にはちゃんと出席すべきでしょとか、奢ってもらったならお世辞でも美味しいって言ってもいいんじゃないのとか。私があなただったらこうするのにとか、相手の気持ちを考えたらこうすべきなんじゃないのとか、本当は言いたいことが沢山あった。なぜなら私は、私の生き方と、これまでの人生で培った価値観の全てを、正しいものだと信じているからである。

しかし、私たちは違う国で生まれ育ち、お互いに相手の文化を知らないのだから、そう簡単には何も言えなかった。それに、たかが数日、数ヶ月一緒に過ごすだけの人に指摘やアドバイスをもらっても、余計なお世話以外の何者でもない。だから私は、何も言わずただ相手のありのままを受け入れた。その時気付いたのである。全ての人は尊重されるべきなのだ。その人の人生、考え、あらゆる全てはその人自身に委ねられており、尊ばれるべきなのだと。

同じ国や、同じ時間を過ごしていると、家族や友人などに対しては特に、自分の意見を押し付けたり、相手の考えや生き方を否定してしまったりしがちである。また自分自身に対しても「○○歳だから△△しなきゃ」とか、〇〇だからこうあるべき、という‘べき思考‘を課している人は多いのではないだろうか。

自分自身も含めて、全ての人は尊重されるべき存在なのだ。何かに悩まされた時は特に、自分も相手も窮屈な枠組みの中に縛りつけていないか、振り返りたいものである。

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この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

高校を三回中退し、精神科の閉鎖病棟に二回入院し、二十回以上転職した人です。最近は小説を頑張って書いています。

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