女性から男性への性的加害と性差の本質について

  • URLをコピーしました!

まずは私とある男との会話を紹介したい。名を仮にたかし君とするが、たかし君と私は久しぶりに会ったのでファミレスで食事をしながら、お互いの近況の報告がてら楽しく会話をしていた。すると突然たかし君が、「でもあなたも結局脱ぐんでしょ」と言いだしたのである。

私「!???」

たかし君「いいよね女の人は、裸を見せて少し奉仕するだけで1時間に何万円も稼げるんだからね。我々男のように、女は苦労して汗かきながら社会に虐げられることなんてないもんね」

「もしも女に生まれ変われるなら僕も風俗で働いて、男から金をむしり取るんだ」「女さんは社会的弱者だからいつも誰かに守られるのが当たり前になってるよね。社会で最も弱い立場なのは弱者男性なのに」

この他にも色々と言われたのだが、内容についての是非はさておき、彼の言葉が示している本質というのは女性が男性に抱いている「キモい」とか「怖い」という感情と同質のもののように感じたのである。

目次

女性も男性を加害している

女性が男性から受けるセクハラや性的加害については昔から議論されてきたが、男性が受けている女性からの性的加害については今までほとんど議論されてきていない。近年では逆レイプなどの肉体的な加害については議論されているものの、実は未だ発見されていない逆セクハラなるものが存在しているのではないだろうか。

女性である私には理解できないのだが、男というのはとにかく誰でもいいからヤリたいものらしい。性欲も糞尿の排泄と同じように当たり前のものらしいのだが、女性はまずその性欲の差について男性に対する尊重が欠けているのである。女性は共感する生き物だから、相手も同じ気持ちだろうと考えてしまい、自分の想像の範疇を超える相手の心情に対してはとても冷酷な態度を取っている。だから、セクハラなどの加害に対しては大きな声をあげる代わりに、なぜそれらの行為が行われたのかということに対して相手の気持ちを考えるということをしないのである。

パーソナルスペースの中で会話したとか、2人きりで食事に出かけたとか、体型を強調するような服装をしていたり、優しく話しかけていただけでも、実は女性から男性に対する加害行為である可能性がある。男性というのは、ヤレる思った相手から断られたりできないことが分かると、裏切られたり騙されたような気がして腹立だしさを強く感じるそうである。女性としては普通だとか当たり前に思ってした行為だったとしても、男性にとってはそれが裏切り行為であり、男性が感じるその感情もまた尊重されるべきなのである。「友だちだと思っていたから」「そんなつもりじゃなかった」という言い訳では本来済まされないことで、女性は自分の身を守るためにも、共感とはまた違う方法で男性の心情を想像し、相手に期待させたり勘違いするような行動を避ける努力に務めるべきなのである。

男女は理解し合えない

男女の友情というのは成立が非常に難しい、というより基本的に無いものと思った方がよい。なぜなら私たちの本能がその性差に価値を見出しているからである。

男女が互いを理解し合えるかという問いについては、100%理解はできないと断言できる。なぜなら私たちは、自分自身の気持ちですら理解しきれていないのだから。だから、男性も女性も「どうして男(女)ってこうなんだ」と嘆く前に、理解できないという前提の元で相手の気持ちを推し量る努力をしなければならないのだ。

私たち男女は正反対の性質を持っている故に、どうやってもお互いのことを傷つけてしまう。だから、肉体的か社会的な弱者であるとか、自分はLGBTQだからとか色々な理由を抜きにして、とりあえずは「自分の行為が相手にとっては加害になるかもしれない」という前提の元に行動するべきである。

自分が加害者かもしれないと考えるとき、人はどうなるか。人は、自分自身の言動を”省みる”という行為をしている。この省みることこそが、男女で性差がある本質的な理由だと私は考える。

ニ極の存在がもたらすもの

ところで、私たちは自分の中に二極の振れ幅を持っている。

優しい自分もいれば意地悪な自分もいる。

明るい自分もいるし暗い自分もいる。

謙虚な自分もいるし横暴な自分もいる。

ご機嫌な時もあれば不機嫌なときもある。

さらには、昼があって夜があり、海があって山があり、寒い暑い。そして男と女がいる。

すべての現象は二極で成り立ち、私たち自身もまた肉体的な性別によらず、男性的な面も女性的な面もどちらも自分の中に持っている。しかし、大体の人はその二極の中で揺れ動いているから、人生に対して不安を感じたり心が安定しないのである。

人が自分を省みるとき、我々はその自分の中にある二極の存在に気付くだろう。性別だって両性具有や無性であってもいいはずなのに、なぜ男がいて女がいるかというのは、正反対の性質を省みることで、自身の本質に気付くきっかけにせよという神からの贈り物なのではないだろうか。

男女が結ばれると心が満たされるのはなぜか。それは、足りないものや欠けているものが満たされるからではない。二極の存在が支え合うことで、その中間地点を見つけることができるからである。二極の間にある、居心地のいい場所。それが男女で性差がある理由であり、全ての人類の目標になるのではないだろうか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

不登校や高校中退、精神疾患などを経て色々吹っ切れた人です。転職や転居を繰り返しながら、幸せを探しています。ライターのお仕事募集中です。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次