アイデンティティとはなんなのか

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今週、日雇の派遣で3ヶ所の事業所へ行ったのだが、やはりどこへ行ってもイヤな人というのは存在するようである。無駄に先輩風吹かす人や、いらないことにまで細かく文句を言ってくる人、とりあえずでかい声で何か言っている人など色々いるわけだが、こちとらただ日銭を稼げればいいだけだから、その人がどういう人なのかはまるで興味はないわけだ。だから派遣相手に偉そうにしても、その社員がどれほど長く勤めているかだとか、会社内でどの立場にいようと、その人の背景や経歴というのはその日限りの人間にとっては全く意味をなさないのである。

それは、派遣である私にも同じことだった。これまでの経験も、あらゆる資格や英語の語学力だって丸々無意味でなんの価値もなかった。どこへ行こうと私はただの名も無い新人であり、いないよりはマシだけどいてもうざったいような存在であり、そもそも人でもない労働力として扱われる存在なのである。

イヤな人に対してはもちろんムカつくこともあるわけだが、キラキラ・イキイキとして働いている人に対しても、私は無性に腹が立って仕方がなかった。彼らはただ仕事を楽しみ、暖かい絆を仲間内で育んでいるだけなのに、私は勝手に妬ましく感じたのである。仲間内でしか分からないようなサインを使っているのを見れば、「なにそれオレたちめっちゃ仲良いぜアピールですか?」と思うし、楽しそうに仕事をしてるベテランぽい人を見れば、「あなたには自分の一部として語れるような存在(仕事)があっていいですね」と皮肉りたい気持ちが湧いてくる。なぜなら私は、私として語れるものを何一つ持っていなかったから。どこへ行こうと、人は初めての場所では赤子同然に無力であるということ、それが恥ずかしくて悔しくてたまらなかったからだ。

人の価値を決めるものとは、一体なんだろうか。私はこういう人間であると、何を以ってして語れるのだろうか。

私は何者かになりたかった。好きなものを極めるとか、仕事を続けていくこと。何かを継続し続けた先で、私は誰かになれると信じていた。しかし、資格も経歴も、私がどうやって生きてきたのかということも、それが他人からの評価に影響を受けるようなものである限り、それらは全くの無価値であるらしい。実際には資格や経歴は仕事を得ることには役には立つけれども、それはごく限られた環境の中ででしかない。つまり、自分で自分を認められない限り、私の人生は全くの無意味で、私は全くの無価値な存在でしかなかったのである。

自分の好きなことをやり続けて、イキイキと輝きながら生きていれば、他人から憧れられる存在になれるのではないか。自分らしく生きていれば、自分のやりたいことに挑戦し続ければ、そういう生き方が誰かを励ますことにもなったりするのではないか。こんな風に、自分という存在が誰かに影響を与えられるようになると、カッコイイと思われる存在になれると信じていた時期もあった。しかしそれを訂正したい、私は恥ずかしい、私はただ無価値な人間でしかないというのに。

もしも人を評価できる支軸があるのだとしたら、それはいかに人間臭い生き方ができたかということではないだろうか。人間にしかできないこと。何かに熱中すること、激しい衝動に身を預けること、悲しい時に大泣きすること、悔しい時に歯を食いしばって抱き枕をひたすら殴ること。そういう、人間臭い生き方だけが、その人の人生に意味を付与するのではないだろうか。(と無能な派遣バイトの私は思うのだった……)

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この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

高校を三回中退し、精神科の閉鎖病棟に二回入院し、二十回以上転職した人です。最近は小説を頑張って書いています。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めまして。密かにあなたから勇気をいただいた者です。
    オフ会、フィリピン留学、中東移住などTwitterやnoteで目にするあなたの生き方が日々変わり映えの無い生活を送る私の様な人間の目にはとても眩しく映り、「この人に比べて自分は一体何をやっているんだろう」「自分もこの人の様に恐れずやりたいと思ったことをやらないといつか後悔する」と思う様になりました。
    私は来週から仕事でとあるリスクを取る決断をしましたが、その決断が出来たのはあなたのおかげです。
    本当にありがとうございました。

    • 嬉しいコメントありがとうございます。私の方こそあなたのコメントから、大きな励ましと喜びを頂きました。お仕事頑張ってくださいね、お元気で。ご縁があればまたどこかで繋がれたら嬉しいです(*^^*)

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