親しくなりたければ、相手を知ろうとしないほうがいい

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親しいとは、つまり相手に対する理解度が深いということである。そう考えていた私は、相手に対する関心は高ければ高いほどいいし、相手の表情や言葉の裏の背景までも読み取って、できる限りの情報を取得するのが正しいことなのだと思っていた。しかし、フィリピンに語学留学に来てから4週目くらいのことだっただろうか。「相手を探ろうとするのをやめなさい。もしも相手のことが知りたいのなら、最初に気持ちを伝えて、相手の同意を得た上でやりなさい」との指摘を受けたのである。

その頃の私は、ただ相手のことが知りたくて親しくなりたいだけだったので、相手を探っているという意識はなかった。私はフィリピンの文化とこの国に住む人々に関心があり、限られた時間の中でその知識を得ることによって、自分と日本、フィリピンの未来に役立てたいという切実な願いが私を突き動かしていたのだ。正直なところ、私は細かいところまで人の感情を読み取ってしまうのが上手かったので、人種に関わらず、相手が隠そうとした気持ちも、それを隠そうとしようとしたことまでも気づいてしまい、関係がぎこちなくなってしまうことも多かった。しかしその指摘を受けて、私が相手の細かい感情まで拾ってしまうのは、能力のせいではなく、私自身が無意識に相手を探っていたからだと気付いたのである。指摘をしてくださったのは日本にいる恩師だったが、彼女はまたこんなアドバイスも授けてくれた。

「とにかく、まずは仲良くなることです。仲良くなって相手も心を開いてくれれば、あちらから勝手に色んなことを教えてくれますよ」

それからは、勉強や人付き合いが忙しくてこれらのことを考える暇もなかったのだが、いつの間にか周りのみんなと自然に親しくなっていて、フィリピン人の先生からはローカルの人でなければ知り得ないような話をたくさん聞かせてもらっている自分がいることに気付いた。

日本では愛想笑いを浮かべながらお互いの腹の中を探るのが当たり前で、それが親しくなる方法だとも思っていたがそうではなかった。まずは敵意がないことを見せることと、自分の心を開くこと。次に親しみや感情を共有して、仲良くなること。そうすれば自然とお互いを知れるようになるから、いつだって無理をする必要はないのだ。人種は違っていたとしても、ありのままの相手を愛し、ありのままの自分を愛してもらえるのだということを、私は学んだのだった。

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この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

高校を三回中退し、精神科の閉鎖病棟に二回入院し、二十回以上転職した人です。最近は小説を頑張って書いています。

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