老いるということ

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なぜ生き物は老いるのか、老いるとはどういうことなのか。

本題に入る前に、前置きとしてまず「時間」というものについて考えてみたいと思います。

時間とは一体なんでしょうか。

まず、一つの例えを挙げてみます。ある人が20歳の時、宝くじで5億円当たりました。その人は、それから一生働くことなくそのお金を消費して暮らしました。この場合、20歳の時が最大の数のお金を持っていて、年数を経るほどお金は減っていることになります。そしてもちろん、0歳から19歳までの間は所持金は0円です(お小遣いでもらった等の、宝くじに関係ないお金は除外します)。では、この人の一生を総観してみてみましょう。この人は、人生のある時点では5億円を持っていましたが、ある時点では所持金は0円でした。つまり、5億円があるときはあった、無いときは無い、「あるけど無い」ということになるのです。

私たちは生まれてから死ぬまで、実に様々な経験を経て、たくさんのことを学び、たくさんの喜びや悲しみに出会うと思います。辛いことや苦しいこともたくさんあったと思いますが、振り返ってみればいい思い出だったと答える人は多いのでしょうか。しかし、そう思えるのは全ては時間というものがあったからです。時間の存在がなければ、あなたがこれまで経験してきたことの全て、確かに存在していましたが、しかし同時に何も無かったということにもなってしまうのです。

時間というものがあったからこそ、経験・毎日に新しさがあり、物事に価値が生まれます。有限の時を生きられるということは、まさに天からの贈り物のように思えてはきませんか?

では、なぜ生き物は老いるのでしょうか。

老いるということ、それは“赤子へと戻っていくこと“だと私は思っています。

当たり前にできたことができなくなっていくこと、やっていいこと悪いことの区別がつかなくなっていくこと、他人の助けがなければ生きていけなくなっていくこと。全て赤ちゃんと同じです、動画を逆再生するように、生き物は生まれる前の状態へと戻っていくのです。

若いときは、一日中動き回れるような健康な体に、徹夜してもへこたれない若さのエネルギー、何かを成し遂げようとするやる気や前に進んでいく力が、確かにあなたの中にもありました。会社をより大きくしたとか、子供を産み育てたとか、あなたの持っていた力で成し遂げた数々の出来事があったと思います。しかしよく考えてみてください、それは本当にあなたの力、あなたのものだったのでしょうか。

ここで時間の話に戻します。私たちは時間という存在があるから、この人生を価値あるものにできました。しかし時間がなくなってしまったら?あなたの人生、「あった、ある。けれど無い」のです。

あなたがこの世に生まれる前、あなたという存在はこの世に存在しませんでした。そしてあなたが死んだ後、その時もまたあなたという存在はこの世に存在していないのです。つまり、あなたの人生すら「あるけど無い」。あなたのもの、あなたの偉業の全ても同じ。何一つもあるけれども、何一つも無いのです。

今までの話から、老いることがもたらしてくれる三つの学びがあります。

一つは、時間は有限であることを教えてくれていること。

一つは、あなたのものは何一つなかったということ。

一つは、全ては「時間」がくれた贈りものだったということ。

老いるとは、命が終わろうとしているということです。もっと家族と一緒にいたい、まだまだいろんなことがしたいなど、いろいろな思いや願いがあると思います。動かなくなっていく体、忘れていく記憶、尽きていく命。全てを諦めていくこと、生への執着を手放していくこと。そこで初めて、見えてくるものがあるはずです。

では、何一つ自分のものではなかったのなら。無から始まり、無に戻って行くだけが人生だったのなら。死んでいくのに、生まれた意味などあったのだろうか。そう感じた人もいるでしょう。

結論、生まれた意味なんてものは無いです。

生まれる前、あなたの人生は存在し無かった。死んだ後もまた、あなたの人生は存在し無い。結局のところ、あなたの人生、この世にあるもの全てが無意味です。意味のある人生にしたかったら、自分で意味を見出していかなくてはならないのです。だから、人生は自由なのです。

親の縁によって生まれ、生まれた縁によって死んでいく。

生きるとは、ただそれだけのことです。

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この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

高校を三回中退し、精神科の閉鎖病棟に二回入院し、二十回以上転職した人です。最近は小説を頑張って書いています。

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