小説を書いたら死ぬ

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死にたいって言わないことを辞めます。死にたいです、はい。

20歳過ぎてからは、ブログでも他のSNSでもほぼそういった話はしないようにしてきましたし、させられてきたというのもありました。みんな頑張って生きているんだからとか、周りを不安にさせるからと、死にたがるのは普通ではないんだという圧力の下で、いつしか私自身も死にたさ以上に一生懸命生きるようになって、そういうことは考えないようになったつもりでした。

この苦しみは、努力は、いつかきっと報われる。いつか、人生は今よりも良い方向へ向かっていくはずだ、幸せになれるはずだ。

そう言った期待を背負ってがむしゃらに生きてきたけど、無理なものは無理ですね。絶☆望。人生は闇、生きることは地獄です。

理不尽な運命だとか、己を嘆くつもりはありません。むしろ今振り返ってみると、全ての経験が私自身の身になったし、不幸や苦しみも含めてこの人生を自ら選んで生まれてきたとさえ思うようになりました。

学びの多い人生だったという意味では、とても恵まれていて幸せな人生だったと思います。

だけど、代わりに失ったものも多過ぎました。もうすべてに対して生きる気力が湧いてこないです……小説を書くこと以外には。

私の心身はもう、戦争でズタボロになって指しか動かないんじゃないかレベルで限界なんですよね。そのために、なんかもうやり尽くした感というか、人生終わった感もあって、心象的には残りの僅かな余生を生きているような気持でいます。

そんな中で、今年の2月の誕生日にふと思い立って書き始めた小説が先週あたりに完成して、今は81000円払って小説の個別指導講座に提出して添削してもらっています。本当にバカですよね、他人に読んでもらって感想聞くためだけに80000円も使うなんてね。

添削を受けた作品は7月中旬に返送される予定なので、それで原稿を手直しした後、7月末締め切りの小説現代長編新人賞に出そうと思っています。

まぁ期待が無いわけではないですが、ぶっちゃけ賞とかもはやどうでもいいんですよね。

心身が壊れて死が見えている今、今の私に必要なのは、ただ小説を書くことだと。芸術としての小説を書き残せたら、そしたらもう死んでもいいやと思うわけです。

誰の目にもとまらなくてもいい。己のなかの全てを出して芸術を追求することが、私に残された最後の使命だと、小説を書きながらふと直観しました。

今の頭の中には、少なくとも三つの作品の構想があります。

これが全部書き終わったら情熱も尽きるかもしれないし、また新しいものが浮かぶかもしれない。でも、どちらにせよ私自身が「書ききった」と思えたら死ぬことにします。だけど、書き終わる前に生きる気力が尽きるかもしれないね。どうだろうね。

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この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

高校を三回中退し、精神科の閉鎖病棟に二回入院し、二十回以上転職した人です。最近は小説を頑張って書いています。

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