夢を叶える方法を見つけました

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 夢を追いかけ続けて約十年、ついに夢を叶える方法が分かりました。

 ちなみにこれは、恐らく多くの人の想像するものとは少し違うと思います。そもそも夢とはなんだったのか、それを叶えてどうなりたかったのかというところから紐解いて考えてきます。

目次

夢の正体とは

 スポーツ選手になる、金持ちになる、etc。多くの人は、夢といえばこのような「状態」になることを想像すると思います。私もそうでした。小説家になりたい、賞を取って作品が多くに人の目に触れて、一定の評価を受けた状態になりたいと思っていたんです。

 しかし最近になって、私の夢は本当に小説家に「なる」ことだったのだろうかと疑問を持ち始めました。きっかけは去年、仕事をセーブして今年だけは小説に全力で打ち込もうと、そして結果を出そうと考え努力していたときのことです。そろそろ就職や結婚など、何かを決断するためのリミットが迫る年齢だったうえに、いい加減結果を出して安定したい、今の私でもいいと認めてもらえるような立場を築きたいと考えるようになっていた私は、ラストチャンスだと思い仕事を減らし小説に全てを捧げる生活を送っていました。結果、社会から隔絶された環境で小説だけを考える生活は楽しいかといえば、そうではありませんでした。

 小説家になろう、結果を出そうと考えるほど、結果を出せない場合を考えて恐怖や不安を感じるようになりました。次に、なんで私が他人や社会の不安定な反応を考えて、恐怖や不安を感じなければならないんだと憤りを感じるようになりました。そして、他人や社会などの不安定で不確定なものに人生を左右されるくらいなら、夢を追いかけるのなんてやめてやると。そこまで感じるほどストレスを抱えるようになっていたのです。

 小説家になる、金持ちになる、etc。「なる」というのは動詞のように見えて、ただの結果、肩書きでしかありません。もちろん、私と同じように夢を追いかけ続けた人たちは、そんなことは重々承知していることと思います。その夢が、企業の役員になることか、はたまたお嫁さんになることの人もいるかも分かりませんが、とりあえずは夢を叶えた状態で成し遂げたかったことというものがあるはずです。私の場合、小説家という肩書きを得ることで、安定した収入を得ながら創作活動を続けられる環境、小説が人生の中心にある生活を求めていました。

 つまり夢の正体とは、「生き方」だったのです。

夢を叶える方法

 夢の正体とは、生き方だった。それが分かれば、夢を叶える方法も簡単です。

 私の場合、まずは小説が人生の中心にある生活をつくる必要がありました。今まで、仕事で消耗し過ぎて創作活動をする余裕がなかったり、あれもこれもやりたいことが多くて同時進行が難しかったので、小説以外のことを切り捨てるところから始めました。生活に追われ過ぎないように実家に帰り、仕事は残業がなく勤務時間も長すぎないものに変えました。色々あったやりたいこと、例えば海の近くに住むとか語学勉強とか、そういうのは小説でお金が稼げるようになった場合のギフトだと思い、捨てたわけではないけれど端に置いておくことにしました。生活の全てを、小説を書く余裕があるかどうか、”小説を書く人”としての人生を壊さずに回すことができるか、で考えて行動するようになりました。

 夢というのは、その人の本質なんだと私は思います。この世には様々な選択肢があって、それは年齢とともに少しずつ狭まっていくけれど、夢がある人にとっては最初から選ぶべきものは一つだったんじゃないか、と。多くの人は、人生とは何かを積み上げていくもの、お金、経験、結果などを蓄えていくものだと思っているかもしれません。だけど夢がある人にとっては、夢を叶えられるならそれ以外はどうでもいい、そういう存在が夢なのではないでしょうか。

 小説家になるのが夢だとしたら、小説を書く人としての一日を生きればいい。そうすれば既に、夢は叶っていることになります。もしそれで物足りなさを感じるならば、例えば他者からの承認を必要としたり、お金を得られないことに不満や焦りを感じるならば、それはあなたが本当に求めている夢とは違ったということです。夢はある日突然叶うものではなく、今日から叶え続けるものなのです。

意味を求め過ぎないということ

 突然ですが、みなさんは二次創作をする意味について考えたことがあるでしょうか。作品への愛だったり、同じようなファンと交流したいなど、様々な目的があると思います。ただ事実としてあるのは、二次創作とは本来は借り物にすぎないということです。原作に一定の評価があって、既に物語や世界観ができているから、二次創作は他人の目に触れやすく評価も受けやすい。原作者から見逃してもらいながら、その作品の真似をしながら創作するということは、原作者が暗い森を独りで開拓してきた陰で、安全地帯で守られながら生きているのと変わらないのです。

 大学へ行って、就職して、結婚して子どもをつくる。一人一人はまったく別個な存在であるのに、こういう生き方が幸せで普通の人生であると一定の評価を受けているのは、まるで人生も二次創作のようなものだからではないだろうか。と、私はあるとき気がつきました。二次創作や普通の人生が悪いと言いたいのではありません、むしろそれを維持していく裏では沢山の努力や涙の滲む日々があっただろうからこそ、誰もが敬われるべきだと思います。ただ私が言いたいのは、こうあれば幸せになれる、こうならなければダメだというような、出来事や行動に意味を課すことをやめれば、人はもっと自由になるのではないかということです。

 私は、小説を書くことは自力救済であると思い続けてきました。小説のなかだけでも報われなければ、私の人生に意味はないんじゃないだろうか、とか。小説家としての評価を受けなければ、これまでやってきたことは無意味だったんじゃないか、など。小説が書けなければ、あるいは小説家にならなければ私は救われないのではないかと思っていたからこそ、意味のある作品をつくろうとして筆は重くなり、書いたあとは重い疲労感にぐったりとしていました。そんなだから休む期間が必要だったり、書くたびに息切れしてしまう自分を責めていたのですが、同時に例えばマンガを描く息抜きにイラストを描いてしまう人のような、創作活動を通してエネルギーが満たされていく人を羨ましくも思っていたのです。

 そしてついに気がついたことは、創作活動を通してエネルギーが満たされていくように見える人は、そもそもそれがエネルギーを削るものではないということでした。創作活動が、自己証明や結果を背負っていないのです。むしろその行為が、回復や整理、遊びになっている。つまり人生の賭けではなく、呼吸の一部のようになっているからこそ、考えるよりも先に身体が動くようになっているのです。

 「これを書いている私に意味はあるのか」「この時間は正しいのか」、そんな審査が常に横に立っていれば、息が詰まるのも当たり前だったと思います。そしてそれは、誰かが要求したものではなく、自分自身が掛けている足枷のようなものに過ぎませんでした。逆に、結果を背負わなくていい安心感や、創作活動が安全なものであると感じられれば、気力は勝手に湧いてくるようになります。なぜならそれは、呼吸をするかのように、自分の一部となって生きているものであるはずだからです。

社会と折り合いをつける方法

 最後に、多くの夢追い人が悩むのは、社会とどう折り合いをつけていくかということだと思います。金を稼がなければ生きていけないし、ある程度社会に適合した生き方をしなければ、苦しむのは自分自身だからです。

 ここでまず整理したいのは、仕事をしたりお金を稼ぐことは、夢を諦めることではないということです。生活が破綻しないように生きていくことは、夢を叶え続けるための土壌を育てることであり、夢のための努力と地続きになっているものだからです。一方で、生活を維持することで夢が叶えられるかというとそうではありません。生活の維持が夢からの逃避になったとき、夢と生活のどちらもが中途半端になり、何年もあとで重い代償を払うことになるのです。

 社会と折り合いをつけるということ、例えば就職や結婚というのは、自分が守られるための場所を探すためのものではありません。自分がどのように生きるのか、立ち位置を覚悟を持って決めるための支点に過ぎないのです。それ自体に正しさや意味はなく、だからこそ自分の覚悟が曖昧なままで過ごしていれば、「これでよかったのだろうか」とか「何も残らなかった」という不安や摩擦ばかりが増大していくことになります。

 あれもこれもやらなきゃ、ではなく、どう生きたいかを覚悟すれば、自ずと進むべき道は見えてきます。例えば私のような、”小説を書く人”としての生き方というようなものが、です。

 結論としては、生き方・考え方の軸を決めて、その決断に覚悟を持って生きてください。そうすれば、その夢は今日から叶い続けることになるでしょう。

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この記事を書いた人

月光のアバター 月光 中卒フリーター

高校を三回中退し、精神科の閉鎖病棟に二回入院し、二十回以上転職した人です。最近は小説を頑張って書いています。

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