既に何度か登場している、大好きな元上司Mさん(50代女性)にまた新たな至言を頂いたのでまとめようと思う。
以前、私はMさんに知り合って間もないある人と仲良くなる方法について相談していた。なので今回Mさんに会った時に、その人とはうまくいったのか結果を聞かれたのである。
Mさん「それでどうなったの?」
私「その人と会ったその日はうまく事が運んだと思います。しかし、数日後にメッセージが送られてきたのですが、面倒だったので既読無視しました」
Mさん「はぁ?これはさ、あなたが始めたことなんだから、たとえ何かしらの事情があったとしても返事は返すべきでしょう」
今回私はその人と仲良くなりたいと思い、私からその人へ話を持っていき会う約束を取り付けたのだった。だから、会って終わりではなくその後に相手がどういう人間でどういう感情を抱くかまで想像して、丁寧なアフターフォローまでするのが声をかけた側の礼儀だとMさんは言うのである。
私はSNSでダラダラ会話するのが好きではないし、会って楽しんだら楽しい気持ちもその日でスパッと終わりにするタイプだった。だから、その後は一切連絡しないしもし連絡が来ても無視するのは私の当然の権利だ、くらいに思っていたので、相手の立場に立って物事を考えてみよというアドバイスは、当たり前のように見えて目から鱗だったのである。この時私は、イマヌエル・カントの「他のあらゆる人の人格の内なる人間性も、汝の人格の内なる人間性も、常に同時に目的として扱い、決して単なる手段としてのみ用いないように行為せよ」という言葉を思い出した。これはつまり、人を道具やただの手段として扱うなということである。私は、相手に対してその場では丁寧に扱っていたつもりだが、もしかしたら人と遊んで楽しい気持ちを得る、という道具として利用していた一面があったのかもしれないと反省した。
Mさんは、一つ例え話をしてくれた。私たちの元職場には頻繁に遅刻してくる男性がいたのだが、大体は電車の遅延が理由だった。確かに彼の路線は頻繁にものすごい遅れが出ることで有名だったのだが、会社の偉い人は遅延することを見越して早めに来てほしいというのである。そこで男性の上司であるMさんに、彼を注意しろという命令が来たのだが、彼女は「電車の遅延は災害のようなものであり、誰のせいでもないのだから彼がそこまで気にする義務はない」と反論したのである。確かに男性は養う家族がいて、仕事も掛け持ちしていつも疲弊しているし、早めの時間に出勤する余裕はなかった。しかし、出勤時刻に遅れないようにするというのも本来当たり前のことだし、会社が遅刻を注意するのも当然である。それでもMさんは、男性が抱える事情や電車の事情も考えて彼のことは守ってやるべきだと思ったし、逆にそんななかで出勤し働いてくれることに労い感謝すべきだと考えたのである。こんなふうに部下を守ってくれる上司は少ないし、自分が正しいと思うことを貫けるMさんはとてもかっこいい人だと、私は改めて思うのだった。
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