年齢=彼氏いない歴だった私は、その原因は私に女性としての魅力がないからだと思い続けてきた。しかし、よく考えてみれば男性との出会いやいい感じの雰囲気になった経験も多かったのに、その先まで行かない理由は一体なんなのか。最近起きたとある出来事をきっかけに、本当の原因と私自身が抱える問題に気付いたのでまとめていく。
男ってサイテー
まずは、私が男性不信に気付いたきっかけになった出来事について話そうと思う。
私には想い人がいた。私はそもそも滅多に誰かを好きになることがなくて、恋に落ちたのはこの人で3回目である。恥ずかしくて目も合わせられないとか、相手のことが思い浮かんで夜も眠れないとか、楽しい片思いの日々を半年以上続け、私からの熱烈なアプローチで3回目のサシ飲みに出かけられた時のことである。私自身は曖昧な関係を続けることを望まなかったが、相手が慎重な性格で決断に時間がかかることを察していたので、飲み会の別れ際に「私はあなたのことが好きで、恋人として交際したいと思っている。でも、あなたの事情もわかるから、次に二人で会うときに返事を聞かせて欲しい」ということを伝えたのである。もちろん相手はその場で返事をくれることはなくて、そのまま帰ることになるかと思った矢先のこと。駅の改札前で、相手が立ち止まって「まだ帰りたくない……」と言うではないか。
私は男性経験がないので、一歩先の踏み込んだ関係になるのが怖かった。でも、私はその人が心から好きだったので、もしもの可能性を頭の中でシュミレーションしつつ、歩きながら相手の気持ちを確かめようとした。「あなたはどうしたいの。私とヤリたいの?私のことは好き?」と。しかし、相手はうーんと言うばかりで、強く押しに出ることもなく、かといって改札前まで戻るとイヤだとまた歩き出そうとする。駅の周りを3周くらい歩いたところで、私は痺れを切れして尋ねた。「はっきりしてください」と。
すると相手は、子供のように駄々をこねて「返事は次でもいいって言ったじゃん。なのになんでだめなの」と私を非難し出すではないか!彼は「付き合いたくないし責任も取りたくないけどホテルには行きたいし、でも自分で言い出す勇気はないからあなたに手取り足取りやってほしい。あなたは私が好きなんだからウィンウィンでしょ?」ということを暗に言いだしたのである。
私は、この出来事で強いショックを受けた。今まで、興味のない男性からのセクハラには耐えてこられたが、好きな男性からも人として尊重されずに、ただの性欲処理の道具として扱われた気がして傷ついたのだ。そしてこの時、この人に限らずいろんな男性に抱いてきたモヤモヤした感情が、男性不信から起因していることにようやく気付いたのである。
女性性に対するコンプレックス
今まで私は、男女の付き合いになりそうになった時、それらを全て避けてきた。その時の私は、今はまだ相手に対して身も心も許せるレベルの付き合いには至れていないとか、そこまで相手のことが好きでもない気がするとか、今はまだ時期尚早であると自分に言い聞かせていた。しかし世の中には、体の付き合いから始まる関係もあれば、お互いの関係性に名前をつけなくても、体を使ったコミュニケーションを楽しんでいる人もたくさんいる。もちろん、婚前交渉はしないと決めている人もいるし、性に対する価値観は人それぞれであるが、しかし心から好きな人なら身も心も一つになりたいと思うのが普通ではないか?今思えば、私の身持ちの固さは単なる意思決定だというには、あまりに頑なだった気がするのである。
私の中には、女性とは男性に犯される存在であるという意識があった。女性は男性より弱い存在で、男性と対等な立場ではなく、男性からの性的欲求を拒否するかしないかだけの選択肢しかない。女性は男性にマウントを取られる存在で、男性の自己肯定感の低さやコンプレックスを解消するための道具なのだと感じていた。
私は、誰かにとっての道具にはなりたくなかったし、一人の人間として対等に扱われたかった。しかし、セクハラを受けるたびに私は傷つき、女性性を恨み、男性性に落胆した。男性から性的な期待を受けるたびに、自分が大切にされていない感覚を受けた。性別に関わらず相手と深い関係になることを望んでいたが、でも実際には体や心の性差がある限り男女の間には埋まらない溝があること。男性には女性からは想像もできないほどの強い性衝動があり、それを抑えるにはただならぬ理性が必要であることにも理解はしていた。
男性不信になったきっかけ
思い返せば、学生時代の学校という環境以外で男性に対していい思い出がなかった。
初めて痴漢を受けたのは小学生のときだった。本屋の中で、私は周りが見えなくなるほど熱心に立ち読みしていたのだが、ある時お尻全体を撫でられるような感触があった。私が立っていたのはマイナーなジャンルで、周りには人が全くいない状況だった。始めは体の大きな男性が通路を通り抜ける時にたまたまぶつかったのだろうと思い、だからそのまま立ち読みを続けていたのだが、お尻を撫でた男性が私の背後に戻ってきて、今度は揉みしだきだしたのである。
私は恐怖でどうしたらいいかわからず、本に熱中して気付かないフリをしていた。幸いなことにそのあとすぐ他のお客さんが来る気配があって、私のお尻を揉んだ男性は逃げるように去っていった。メガネで小デブの、30代くらいの男だった。私はその後トイレに逃げ込み、10分近く個室に閉じこもって、激しく脈打つ胸を手で押さえながら、どうすれば逃げられるかをひたすら考えていた。
中学生に入ってからは、電車の中での痴漢も受けた。私は客のほとんどいない車内でボックス席に座り、目を瞑っていた。すると男性が対面に座ってきて、最初は私の膝を撫で、そして制服のスカートの中に手を突っ込んできたのである。私は恐怖で目も開けられず、ただ必死に耐えていた。10分くらいだっただろうか、2駅過ぎたところで男性が下車して終わったのだが、この体験は私にとって非常に屈辱的だった。イヤだったのに抵抗できない自分の弱さ、男性に逆らうと何をされるかわからないという恐怖、されるがままにしかできなかった自分自身が憎くてたまらなかった。
大人になってからは、私は意思の強い人間になったし体重も20kg増えて太ましくなったので、痴漢を受けることは無くなった。しかし、男性と個人的に仲良くなるたびに「この人は性欲抜きに私を大切にしてくれるのではないか」と期待して、しかし毎回最後はガバッと襲い掛かられるかセクハラをされて落胆してを繰り返し、そのうちどうやら私は男性不信を拗らせていったらしいのである。男性に性欲がある限り、女性は大切に扱われないのだ。ほぼ全ての男性に性欲はあるから、自分が女性である限り一生人として尊重されることはないし、男性は女性を傷つける存在で敵なのではないか、と。
女性には、男性を尊重する義務がある
インターネット上で、「女性は常に男性を選ぶ立場だから、男性よりも人生がイージーである」とか「女性はブスでも性交渉できるが、男の非モテ男性は選ばれないからこの世で最も人権がない」とか、男性側が女性に対してハラスメントや危害を加えられたと感じている状況を度々目にしたことがある。以前は、「それは男性側の努力が足りないだけでは」という風に思っていたが、私自身の男性不信に気付いた今ならわかる。男性側も、同様に女性不信を感じる場面があること。男女がお互いに、相手を尊重した意思表示が必要とされていることに。
まず女性は、男性に対し勘違いさせない振る舞いをすることが必要なのである。同性の友達と同じ距離感で近づいていって、相手が自分に異性として好意を持った後に「そんなつもりじゃなかった」と言うとか、露出の多い服装をしていて「これは自分が好きだから着ているのであって、男を喜ばせるためではない」と言うのだって、確かにそれは正論だがその前に私たち女性は考えなくてはならないことがあるのだ。
例えるなら、マラソン大会に参加するというシチュエーションである。マラソン大会にエントリーして、ランニングウェアを着て当日会場までやってきた人がいるとしよう。それを見た人は、当然この人はこの大会で走るのだろうと思うし、一生懸命走って結果を残すことを期待するだろう。しかし、その人がいきなり「私は記念参加だから走れないので、歩きます」とか「やっぱり気分が乗らないから返金してほしい」などと言い出したらどう思うだろうか。自分から参加したくせに、やる気がないどころかルールも守らない姿は見ていて不快だし、他の真面目な参加者の邪魔をしたと感じて怒りも湧いてくるかもしれない。
男女の駆け引きや性的なやり取りというのは、このマラソン大会と同じである。不本意であったかもしれないが、人間という動物として生まれてきた時点で、私たちはこの大会に既にエントリーを完了しているのである。だから、相手にとってはこれが性的に誘っているように見えるかもしれないと考えたり、ヤる気がないのなら最初から意思表示をすることは、優しさ以前に、最低限のマナーであり義務なのではないだろうか。
男性不信は恥ずかしいことではない
私は、男女が交わるのは当たり前なのに、どうしてここまで抵抗感を感じてしまうのだろうかとか、男性が強い性欲を持っているのは当たり前なのに、それを許せないのはなんて心が狭いのだろうとか、自分を恥じて今までそういったネガティブな感情を隠そうとしてきた。しかし、男性不信も怪我の一つである。怪我は適切な治療をしたり、休息を取らないと治らないのと同じように、男性不信もまた隠そうとしている限り治らない。私はそれを隠したまま中途半端に生きてきたせいで、中途半端に拒絶して彼らを傷つけてきたのではないだろうか。
既婚者が、指輪をつけて自分に伴侶がいるのをアピールするのと同じように、男性不信や同性愛や様々な理由で深い関係を望まない場合は、始めに「自分は〇〇です」とアピールするのが、自分のためにも相手のためにも必要なのではないだろうか。
だから私は、男性不信であるということを始めに伝えて、その上で男性と友好を築いてリハビリしていこうと思った。
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