現在セブ島に計12週間の語学留学に来ているが、10週目が終わったので感じたことをレポートにまとめていく。
肌がキレイになる
9週目に入ってから、突然肌がツルツル(日本国内で体調が良い時と同レベル)になり、髪もサラサラ(日本での平常時と同レベル)になったので驚いた。8週目の時は、頬をさすればボロボロ皮が剥けるレベルだったので、このままここで生活し続ければ死ぬのでは?と思っていたが、どうやらそれは体をフィリピンに適応させるための最終調整の段階だったからのようだ。
おまけに、先生の実家であるど田舎の家に泊まらせていただく機会があり、そこで食事した後は一晩中お腹がゴロゴロ鳴っていたもの、翌朝には「もう現地の人と全く同じ食生活でも問題ない」のではないかと思えるくらい胃腸が鍛えられた実感があった。
英語を話せるようになりたいのなら、6ヶ月は必要
留学生活も2ヶ月半を過ぎた今では、以前言った「勉強のためだけなら2ヶ月で充分」という考えを訂正したいと思うようになった。確かに、日本国内で学んだ応用と実戦の機会が欲しいだけなら2ヶ月で充分だが、知識ではなく言語として確実に身につけたいなら半年以上の期間が必要だと感じた。逆に言えば、非ネイティブがネイティブと同レベルの語学力を身につけるのは一生無理だと思っていたものの、半年以上生活すればそれに近いレベルまで到達できるのではという可能性を感じたのである。
言語はツールの一つに過ぎない
私の場合、「もっと時間をかければ語学力も伸びるだろうが、残りのたかが1ヶ月では何も変わらない」という能力の頭打ちになった実感でやる気をなくしてしまったため、教科書中心の勉強を辞めて、できる限り会話中心に変更してもらったのだが、結果としてこれも語学力の向上に繋がったと感じた。ただ教科書と向き合うよりも、学びは楽しさのなかでより定着するものなのではないだろうか。
また、3ヶ月目からは生徒同士ではなく先生と遊びに出かける機会も増えたのだが、ほぼネイティブであるフィリピンの人たちに囲まれている中で会話していると、「イエス、イエス」ばかりというかそれしか言えない自分がいることに驚いた。しかし授業内での世間話は普通に話せるので、これは私の語学力が低すぎるというより、価値観や考え方の違いによるものだと感じた。yesしか言えないもどかしさと悔しさに悩まされたものの、後で振り返ってみると、どのように会話が進行されていったのか、外国人(私)に対してどのような話題を振っていたかというが、今後の私自身の考え方や会話術を鍛えるのに大いに役立つだろうという実感があった。フィリピンに限らず、どこの留学先でも「最初はyesしか言えなくて悔しかった」という話をよく聞くが、このときにうまく話せるようにがむしゃらに頑張りつつも、相手を尊重しながらも常に心の中に日本人としての視点を忘れずに置いておくと、人格の開発につながるだろうと思った。
日本に帰るのが楽しみ
私は、留学前は行った先で沢山文章を書いたりまとめようと思っていたのだが、2週目くらいで気が変わってあえてレポートのみに抑えていた。「勉強するぞ、知識を吸収するぞ」という気でいると、ライブ感やリアリティや様々な感動や感情が抑えられてしまい、日本国内で本を読んで学ぶのと変わらない冷めた学びにしかならないと気付いたのである。だから、今目の前を精一杯楽しんで、帰国してから思い返しながら書いていこうと思ったのである。
もしも2ヶ月で留学を終了していたら、慌ただしくて嵐のあとのような訳のわからないような気持ちで帰国していたに違いないが、3ヶ月目である今月には、現地の生活を楽しみつつ色々と振り返る余裕があり、良い意味で気持ちの整理とやり切った充足感を感じられた。
大好きな人たちや、この素晴らしい国と離れるのは寂しいけれど、文筆家としての新しい挑戦の場が待っているから、日本に帰るのが楽しみである。
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