フィリピンの人が、日本や他国に対して羨望を感じていることは言うまでも無いが、私もまた彼らを羨ましく感じていることがある。
一つは、フィリピンの人の国際的でオープンな精神である。親戚の誰かしらは海外で働いているし、国内でも毎日外国人と触れ合うのが当たり前で、私生活でもTikTokやFacebookを通して沢山の外人とコミュニケーションを取りながら生活している彼らは、大体が海外に出稼ぎに行きたいという夢を持っている。それぞれが日本・アメリカ・ドバイ・カナダなど色々な国に対して興味関心を持っており、希望を持って夢を語らう彼らの姿を見ると、とても羨ましく感じるのである。
まず、‘英語‘という世界中で活かせる能力を持っているのが羨ましい。オンラインや、国内外で語学力を活かしてお金を稼げることはとても大きなアドバンテージだろう。特に私は学歴も特筆する能力も無いから、能力を活かして一生懸命お金を稼ぐ彼らを見ると、毎日「私はなんのために生きているのだろう」という気持ちになってくる。
また、それぞれが国際的な視点で目標を持ち、いずれ別れがくると分かっていながら団結して励まし合っている姿は、日本には無いとても魅力的な友愛だと感じている。フィリピンの人は貧しさと憧れから海外での生活に関心を抱く人が多いけれど、日本はそこそこお金も稼げるし、安全で食べ物も美味しいから、海外に関心を持つ日本人は今はまだ少ないのではないだろうか。日本人が国内での生活に満足し海外に無関心でいる間に、人口は減り移民は増えて、いつのまにか他国に乗っ取られていたなんてことにはならないだろうか・・・という不安が時々頭をよぎる。
もう一つは、フィリピンの人は明確な目標をもって生きているということに、私は羨ましさを感じている。彼らには、「family oriented(家族第一主義)」と「お金を稼ぐ」という二つの大きな目標がある。今より多くお金を稼ぐこと、そしてフィリピン国内で自分の所有する家を買い、両親を幸せにすること。そして沢山の子供に恵まれることが、彼らにとっての最終目標なのである。現在がとても貧しいから、未来がより明るいものであるということに疑問を持たないし、現時点で仕事の選択肢が少ないから、海外で働けるだけでとても幸福なことだと考えている。
しかし日本はすでに充分豊かだから、ぼんやりとした不安を抱えながら、なんとなく働きなんとなく生きているうちに、経済は低迷し人口は減少し夢も希望もなく、他人と自分を比較することでしか幸せや不幸を測れない国になってしまっている。
フィリピンの人に、「私はアメリカへ行って、最終的には裕福な男性と結婚するのが夢よ。あなたは?」と尋ねられたときに、私は何も答えられなかった。一応、オマーンへ移住してアラビア語とアラビア文化を学びたいという目標はあるが、それを達成した先に何があるかというのが分からないからである。既に豊かになってしまった日本では、お金を稼ぐことも子供を持つことも当たり前のことであり、幸せになるための目標にはなり難い。外的な豊かさを得てしまった人間は、もはや内面の豊かさを育むこと、自己実現でしか幸福には辿り着けないのである。
今後10年そこらで変わることはないだろうが、いずれは人工知能が人間の仕事を取って代わり、人々は暇を持て余す時代がやって来るだろう。その時、人は必然的に今までとは違う新しい幸福の形を探し始めるに違いない。日本の経済が低迷しているのはなぜか、それはその新しい幸福の形をまだ発見できていないからである。既に経済的に豊かになった日本は、今度は自分を苦しめることや、自分自身を縛る固定観念から抜け出す道を探っていく段階に入っている。
私はなぜオマーンに行きたいのか。それはただ、新しい自分に出会いたいからである。それが、私の幸せであり、他人にとっても幸福なことだと信じているのである。今の私は、フィリピンの人々のように能力もなければ夢も希望もないけれど、アラブの地でいつか新しい自分に出会えた時、文筆家として新しい幸福の形を言葉で表現できるようになると信じている。5年、10年後の私は、果たしてこの時代の転換期を先駆する者となれているだろうか。
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オイルマネーの影響力はすごいなり、20年後はどんな感じかな・