今日は、不安や焦燥感などを昇華する方法として、短歌がよかったよという話をしたいと思います。
何が不安なのか
まず、何が不安なのかということですね。
とりあえず、人生そのものが不安です。自分の生き方はこれで合ってるのか、今やってることは全て無駄なんじゃないか、このままの自分で未来でも生きていられるのか、etc。人生には正解が無いし、答えもないですからね。そういうことを考え始める時点でドツボにはまるし、虚無感にも襲われるんですよ。そのせいで、自分という実体を感じられず、生きているという実感さえ失われるという状況にも陥るわけです。
あとは、自分ではままならないことに対するストレスもすごいです。お金とか、社会や政治とか、あとは仕事に人間関係とか。そういうのがぐちゃぐちゃに混ざったうえで、いつの間にか得体の知れない焦燥感や恐怖心として、堂々と心の真ん中に居座っているんですよ。まるで始めから、自分の一部であったかのように。
短歌にすると何が良いのか
そういった不安や焦燥感といったものは、そもそも自らの心が作り出した幻影のようなものなので、実態が無いわけです。だから正体も分からないし、そのせいで余計に不安が増幅されてしまうこともあります。
逆に言えば、名前や実体というものを与えてあげれば、それは未知のものではなくなるわけです。そうなると、実際は大したことないことに悩んでいたんだと分かったり、これは自分にはどうにもできないことなんだなと分かれば考えることを諦められるし、そもそも正体が判明した時点で興味が無くなるということもあり得たりします。そして、それをするのに一番都合がよかったのが短歌だと私は感じました。
なぜ短歌がいいのか
不安や焦燥感に実体を与える方法として、なぜ短歌がいいのかというと、一番の理由は一度実体を失うからです。
「は?」と思いましたよね。どういうことかというと、例えば日記は、今日あったことや感じたことをそのまま書きますよね。転んで痛かったのに、転ばなかったしハッピーだったと書く人はいないでしょう。そうやって現実のことをそのまま書き留めた場合、現実の問題を把握して改善に繋げたいという場合は有効だとは思います。しかし、解決できない問題だった場合、不安やモヤモヤ感というのは解消できていないと思いませんか? あぁ、私ってこんなに理不尽で惨めな人生送ってるんだってなりませんか? あとは、私たちが認識している現実というものは、そもそも自分の感情や人生観などのフィルターを通されているため、客観的ではないという場合もあります。そのため、本当の苦しみの原因を見つけにくいということもあるのです。
短歌の作り方は、まずどういうものをつくりたいかを考えます。それを、どうすれば五七五七七の三十一音にできるかを考えます。これで完成です。この三十一音に変換するという過程で、一旦前置きを崩し、色々な語句を当てはめて考えるという工程が入ります。すると、自然と自分から切り離して客観的になるうえに、それ自体が現実のものではなく創作物に変換されるのです。こうなると、自分の心で重く苦しめていたものが軽くなったり、出し入れできる”物”として捨てたりしまったりできるようにもなるのです。
それに短歌は、俳句と比べてとても自由です。季語とか語感とかも必要がなく、字余りをしても許されます。さらに日記とは違い、創作活動になるため、ストレスを減らして心を癒やし、自己肯定感を高める心理的な効果も感じられるでしょう(私はそうでした)。それに、他の創作活動と比べて簡単なので、数分でも作れるからハードルも低いし、今日あったことや感じたことなどで創作の材料には事欠かない分、アイディアも浮かんできやすいと思います。
以上のことから、私は不安などに悩み苦しんでいる人に、短歌をつくってみることをおすすめしたいと思います。いかかでしょうか。







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